8.日曜日
日曜は何をするともなくすごした。
勢い込んでソリッドフェンサーに没頭するわけでもなく、僕は時間が来るまでパソコンの電源を入れることはしなかった。
特にこれといって戦意はない。GvGの時よりも穏やかな気持ちで、ただその時間を待っていた。なぜかは分からないが、江本と戦う気持ちに迷いはない。でもなぜか江本に対する敵対心というものがないのも事実だった。
奇妙な気持ちだったが居心地は悪くない。
僕は約束の時間が近付いたことを時計で確認すると自室へ入り、ドアを閉めた。それから少し考えてドアにある簡単な鍵を掛ける。これで邪魔は入らない。
僕は一つ深呼吸をしてパソコンの電源を入れる。
パイロットランプが点灯。放熱用のファンが静かに動き始め、モニターが明滅を繰り返す。
僕は起動したパソコンのデスクトップにあるソリッドフェンサー≠ニ書かれたアイコンをダブルクリック。ソリッドフェンサーを起動する。
いつも繰り返されてきた動作。でも今日は特別な意味を持つ。
さあ、時間だ。
*
コロシアムの前にはグレイマンの一同と相手のギルドのボイルドエッグのプレイヤーが集まっていた。しかし見たところMADの姿はまだない。
〈ED: よう調子はどうだ?〉
〈*: ぼちぼちです〉
EDに適当な挨拶を交わしていると、一度見たPCが表れた。
銀髪の戦士、MADだった。
姿を見せたMADに真っ先に反応したのは意外なことにアースだった。
〈earth: あ、あいつや。俺らにPvPを仕掛けてきたんは〉
アースの言葉にグレイマンのメンバーが浮き足立った。
〈Rocky: 本当か〉
〈Ashley: ええ、あいつで間違いないわ〉
アシュレイの肯定の言葉にグレイマンのメンバーが少しだけMADに対する好奇心と敵対心を垣間見せたが、先日841に釘を刺され、その上GvGの直前という事もありMADに挑もうとするPCはいなかった。これは好都合だ。
僕は841に近寄るとメッセージを入力した。
〈*: 悪いですけどGvGの前にMADとサシでやらせてくれませんか〉
〈Gatts: どういうつもりだ?〉
841の近くにいたPCが僕のメッセージを見て尋ねた。確かに他の好戦的な連中が抑えているというのに、これまで目立った存在ではなった僕がMADに挑もうなんていうこと自体が変に思ったのだろう。
〈841: 偶然だね。向こうからも同じ要請がきてるよ。MADがあんたと戦いたいってさ。……ねえ、どういう事情か知らないけどさ、その戦いって大事なの?〉
この戦闘は大事なのか?戦う必要はあるのか?
幾度と無く自分に問いかけた質問だった。
確かにこの戦いに意味など無いかもしれない。この戦いは二人の、いや江本の自己満足かもしれない。何度となくそう感じた。
でも今なら分かる気がする。答えるべき言葉は分かっていた。
僕の指は自然とキーボードを叩く。
〈*: MADと、僕の意地です〉
僕のメッセージが吹き出しになって表示され、しばらくの間をおいてから841がメッセージを入力してきた。
〈841: そう、よくわかんないけど面白そうじゃない〉
〈Gatts: ちょっと841、良いんですか?〉
〈841: これはゲーム、お遊びだよ。二人にとってこの戦いはなにか特別なもんなんだろ?ただのお遊びに過ぎない私たちが邪魔しちゃ悪いじゃないのさ。ただしつまらない試合を見せるんじゃないよ〉
〈*: わかりました〉
僕は841に答えるとフィールドを進んでいった。背後にはぞろぞろとグレイマンのメンバーが連れ立ってついてくる。僕らの戦いを傍観しようという考えだろう。
僕は彼らを気にすることはせずにフィールドを進み、丁度真ん中に達したときMADと対峙した。MADの後ろにもボイルドエッグのメンバーがぞろぞろと並んでいる。二人を中心に弧を描くギャラリーという変な構図が描かれた。
そんな中江本からのメッセージが表示された。二人だけが見ることが出来る秘匿会話用のメッセージだ。
―MAD: 君って約束は守るのね。
―*: まあな。
―*: 舞台は揃ったな。
―MAD: 皆さんには申し訳ないけど、今しかチャンスはないから。
GvG初戦の開幕に二人の意地っ張りの決着をつけるには十分すぎる舞台だ。
総勢三十名の観客に、広々としたコロシアム。細かい事を気にせずに気兼ねなく戦う事が出来る。
―MAD: 昨日君はなぜ私がゲーセンでわざわざあの対戦ゲームをするのか尋ねたわよね?
―*: ああ。
―MAD: 私は誰かに勝つことで私の位置を確かめたかった。試験でもあのアーケードでもソリッドフェンサーでもそう。私は勝つことで自分の居場所を確かめてきた。
―*: 今ここで僕に勝っても大し意味はないと思うけど。
―MAD: そうかもしれない。でも私は他の誰でもない君と決着をつけたいの。
―MAD: 姿の見えないライバルを思い続けるうちに、ある種の憧れというか一種の片思いとも言える感情を持っていたのかもしれない。
僕は知らないうちに彼女にとって大きな意味を持つようになってしまっていたようだ。
僕はどう反応したらよいか分からなかったが、いつも通りに返す他なかない。僕には気の利いた台詞なんて吐けない。そんな役柄はは僕よりも晋悟の方が適役だ。
―*: 戦いの興奮による心臓の高鳴りを恋による胸の高鳴りと誤解しているだけさ。
デートには遊園地のお化け屋敷が良いというのはそういう理由だ。お化け屋敷による脈拍数の上昇と、一緒にいてどきどきするという事を誤認させるのだ。
僕は江本もそれと同じであると判断しておく。
江本の返答は少し遅かった。
―MAD: そうかもしれないわね。今日の私はちょっとおかしいわ。
―*: さてさっさと済ませようか。
―MAD: 準備は良い?
―*:ああ。
―MAD: 手加減はなしよ。
僕は君に憧れた。
いつでも真っ直ぐに進んでいける君が、全力で生きてる君が羨ましかった。
でも君は僕を目標としていた。負け犬だったこの僕を。
だから僕は君の期待に応えるため、君に相応しい敵にならなくてはいけない。
―*: 君のことが好きだから、君を裏切らないために全力で君を倒そう。
江本は何か入力しようとしたようだったが僕は自分からチャットを終了し、PCを後ろへ下がらせる。ワンテンポ遅れてMADも動き、試合が始まった。
彼女が僕を倒す事で何を得るのかは知らない。彼女の言う尊厳とやらかもしれないし、ただの自己満足かもしれない。
僕が彼女を倒す事で得るものが何かは未だに分からない。ただの一勝というデータかもしれないし、人生を大きく変化させるファクターかもしれない。ただ何か大事なものが得られるような気がする。どちらにせよ僕は戦わなくてはいけない。そして勝つのだ。
MADは積極的に攻めてきた。江本が得意とするのは近距離から中距離の間。スピードも速い上に結構攻撃力もある。味方とする分にはいいかもしれないが、敵とするにはなかなか厄介な相手だ。
MADよりわずかに上回るスピードを生かして間合いに入り込もうとするが、蛇のようにしなる剣がそれを許さない。きっと法則性があるのだろうが、一見不規則に動くMADの特殊武器による攻撃を避け続けるのは至難の業だ。まともにやり合えば僕に勝ち目はないだろう。だがこのフィールドの特性を生かせばもしかしたら何とかなるかもしれない。
フィールドの構造物を使ってMADの攻撃を避け、なんとか致命的なダメージを負わないようにしてMADとの間合いを詰める。MADの剣が最も効果を発揮する中距離では僕の剣は届かない。だから僕はMADの懐に飛び込むしかない。
だが僕は攻撃を受けてばかりで積極的には攻めなかった。まるでMADの攻撃から逃げるように移動を重ね、はたから見れば僕が逃げるのをMADが追うように見えたかもしれない。
だけど僕はただ逃げていたわけじゃない。
やがて僕らは遺跡のポリゴンが並び立つフィールドにいつしか入り込んでいた。構造物が並ぶ狭い場所ではMADの武器は威力を弱め、効果を十分に発揮できない。
僕はそれを狙ってMADを誘い込んだのだ。
僕は構造物の陰からMADの不意を突き、一気にMADの間合いに入り込むことに成功した。
近距離では比較的互角の戦いが出来る。多少僕の方が分が悪いが、それでも一方的にやられるというわけでもない。
僕はただ負ける試合なんかしない。たとえ勝てる確率が低くとも僕は勝つための算段を用意している。臆病さゆえの卑怯さとでも言うべきか。僕はモニターを見つめコントローラを休むことなく操作ながら苦笑する。
MADは僕を確実に仕留めるために僕との距離を置いて中距離から攻撃を仕掛けようとする。僕はMADに追いすがることはせず、MADとの距離は開いていく。
MADは剣を開放。つながっていた節が外れ、背骨のような節が連なるいびつな剣が姿を現す。まるで無機質な蛇ともいうべき剣は僕に牙を向けて襲い掛かってきた。僕はそれを後方へ下がる事によって攻撃範囲から逃れ、MADと僕との間には剣で戦うには広すぎる空間ができた。
江本は僕の性格をよく知っている。そして僕の戦い方も知っている。だけど君は一つだけ思い違いをしていた。
僕はただの双剣士じゃない。
僕はコントローラを握っていた右手を離し、テンキーへと移して四桁の数字を入力。
簡易魔法が発動し、MADに牽制の攻撃をする。
恐らく彼女は回線の向こう側で驚いた顔をしているのだろう。それを思うと僕は少しだけ笑みを浮かべる。
僕が装備に双剣を選んだ理由は、魔法の発動時間までのタイムラグを埋めるために攻撃の速い双剣が丁度良いからだ。だがソロハンティングにおいて魔法という後方支援型の攻撃は効果的ではなく、僕は次第に使うのを止めていった。
一対一の今も状況はそう変わらないが、このフィールドなら話は別だ。
僕が有利になるように彼女を誘導している。そう、僕の魔法攻撃が避けれない状況へと。
単発の魔法は発動が早く、狙いもつけやすい。MADは回避行動をとるも僕が構造物の少ない場所へ誘導してきたため、何かの陰に隠れるという事は出来ない。
更に決定的なことはこの先にある。
僕の魔法攻撃を避けるためにMADは遺跡のフィールドの奥へと進んでいくが、MADの歩みは止まる事となる。行き止まりだ。
僕は知っていた。だからここへMADを誘った。逃げ道のない状況へ、僕に有利な状況へと。
僕はためらうことなくテンキーを叩いた。十六桁の数字の羅列を僕は迷うことなく入力していく。条件反射というものだ。梅干を見たらつばが出てくるように、僕の体はこの動作を覚えていて考えるより先に指が勝手に動く。
最高レベルの魔法攻撃。入力がシビアな上に、攻撃範囲が狭く当たりづらい。だが逃げ場を制限されたフィールドへと追い込まれたMADには避けるすべがない。
MADもその事に気付き、僕へと攻め寄る。蛇の牙が僕へと迫る。
MADの剣が僕に届くのが先か、それとも僕が魔法の発動コードを入力するのが先か。
ほんの数秒の出来事だった。いや、一秒にも満たない時間だったかもしれない。だが僕には何分にも感じられた。
僕の魔法が発動。眩いばかりの光のエフェクトと共にMADを包み込む。
赤い光がモニターの大半を埋め尽くし、僕は目を細めた。
静けさが戻りエフェクトが静まった頃、僕はフィールドの上に倒れたMADのPCの姿が見えた。僕も少なからずダメージを受けたが、まだ体力ゲージはかろうじて残っている。
MADはどうか?連続攻撃によるピヨった状態なのか僕には判断できずにいると、突如MADのPCがフィールドから消えた。体力ゲージゼロによる強制退出。
僕は、彼女を倒した。
その事を理解するのにしばらく時間がかかった。
〈841: やったじゃない、アス〉
いつの間に現れたのか僕のすぐ横にいた841のPCの上にメッセージが書かれた吹き出しが浮かぶ。よく見れば他のメンバーたちも841のそばにいた。
まるで許されるのを待ってたかのように、841のメッセージを皮切りに周囲を取り囲むギャラリーの上に次々とメッセージが浮かんだ。
〈Gatts: アスがマッドを倒しやがった〉
〈JIS: すげぇ〉
〈BEBEO: 私もやりたかったなぁ〉
〈DOOM: アスって魔導士だったのか?〉
次々に浮かんでは消えていく文字たちを僕は見ず、ただMADのPCが消えた地面を見つめていた。
まるで死者を弔うように。気高く戦い、散っていった戦士に敬意を示すように。
GvGの前の前座は終わりだ。これから本舞台が始まるというのに、僕はどこかさめた気持ちになっていた。僕はフィールドの端へPCを向け、ゆっくりと進ませた。そんな僕の様子に気付いた841が僕のPCの前に回りこみ、メッセージを入力。
〈841: どうかした?〉
〈*: 落ちます。僕の戦いは終わったから〉
正直な気持ちだった。GvGなんかどうでも良かった。僕の中ではもう決着は着いていた。
〈841: そうか。じゃあ丁度良いや〉
841の言葉がどういう意味か良く分からなかったが、841の続けた言葉でその謎は明らかになった。
〈841: MADが抜けてあんたも抜ければ丁度十五人づつ。私たちはフェアをモットーとしてるからね〉
〈*: 僕とMADじゃ戦力的に吊り合ってないでしょう〉
〈841: そう?まあ、そこら辺は向こうが悩むところ。私たちには関係ない〉
ちっともフェアじゃねえ。841の抜け目無さに僕は現実世界で笑った。
〈841: じゃあまた会おう。この0と1の世界が滅びぬ限り〉
僕は言葉を返さずにゲートへ向かった。841たちはここが滅びるまでここに居続けるだろう。いや、現実世界や自らが滅びるまで居るのかもしれない。彼らはそんな人間だ。
ゲートの淡い光がPCを包み込む。午後十時三十四分退出。
僕はパソコンをシャットダウンするとベッドに倒れこんだ。いつもに比べたら断然早いが今日はもう眠ろう。